なぜ人は社畜になるのか。
どーも、Pondoです。
今日はタイトルの通りなぜ人は社畜になるのか自分なりに考えてみます。
いきなりですが皆さんは自分を社畜だと思いますか?
私は社畜だったと思います。(今もそうかもしれない)
例えば、
・上司からの無茶振りや意見が違う内容にもyes と言って進める。
・サービス残業当たり前
・一生懸命作り上げたものをnoと言われれば、直された通りに作り直す。
・お客様や社内で会議で揉めそうな時、上司の指示または気持ちを察して
自ら盾になり一個人として揉めていつでも尻尾切りをできるようにする。
・宴会芸、酒の席での気遣い、イッキ、パシリなどなど。
まぁそれなりの組織の場合、会社の社畜というより近い上司の社畜となることが
多いのかなと思います。私はそうでした。
そんな中、わかったこと、私の中での結論言います。
なぜ社畜になるのか。それはおそらく大半の場合、楽(らく)だからです。
前述した近い上司の言いなりになることがある意味で社畜というなら
そんな近い人と揉めることは相当な労力です。
また、勇気を出してもめた場合、日本の年功序列の組織では大概は下が悪いとなるでしょう。
最近ではパワハラと訴えるまでいかなくてもその感を誰かに伝えることはおかしくないことになっていますが20年近く前からの人にはそれすら難しいでしょう。
だから揉め事を避けて残された道として社畜を選んだのです。
でもあなたは、社畜街道をまっすぐ進んだ道に何が待っているのか
恐らく成長産業以外の方々は、
40歳でもまだ一番下だったり
景気の良い頃の名残を過ごした具体的な策を作れない人の下だったり
酒を飲むことが仕事だといまだに勘違いしてる人の下だったり
50歳でやっと自分の思い通りに仕事ができるのか
はたまた上の詰まり具合では自分の番はこないのか
従来方日本的企業の方はみんな同じ気持ち抱えているではないでしょうか。
でも、それでも抜け出せない、それは楽してるほかありません。
自分含めて、これはぬるま湯なんです。
別に無駄な上司との戦いしたらと言ってるわけではありません。
(私はもがく中で無駄な戦いしましたが無駄でした)
正直、そんな状態ならやめちまえってことです。
あなたのピークは残りわずかです。
あなたの楽しい人生は刻一刻と終わりに向かってます。
そんなの腹痛めて産んでくれた親や、幸せになれと思って死んでった
爺さん婆さんになんて説明できますか。
苦労は楽ではありませんがきっと楽しいはず。
子供の頃の、生まれた頃の苦労っていつも笑ってたはず。
取り戻そう、自分の人生。
私自身も取り戻します。人生を。
ponとdoしよう。
Pondo